ごぶさたしてしまいました。
久しぶりですね。元気でしたか?
私は元気だったのですが、とってもバタバタしていました。
実は、例のお笑い芸人の手伝いで、思いのほかやることが多くて、バタバタでした。
例のお笑いが得意ではないのにお笑い芸人になろうとしている彼ですね!
頑張っているのですか?
何か問題があるのでしょうか?
私は、海の見える田舎町と東京を行き来している40代のUDOUです。
海の見える田舎町で漁師さんのお手伝いをしたりしてゆっくりしていましたが、最近は少々多忙です。
理由は、営業会社や投資顧問の仕事、それにお笑い芸人のお手伝いなどがあるからです。
その中でも最近はお笑い芸人のお手伝いがなかなか大変なのです。
以前にも書きましたが、そのお笑い芸人さんは、お笑いが得意ではないのに何故かお笑い芸人をやっています。
一番の問題は、お笑い芸人として舞台にたったり、人前で話をするのが苦手なのです。
3ヶ月ほど猛勉強や練習をするというので、色々やるべきことをまとめていろいろ教えてきたのですが、、、なかなか具体的な成果がありません。
昨日、営業会社の皆さんの前で、漫談をすることになったので、やってもらったのですが、話がなかなか進みません。
これは、いったい何が原因なのでしょうか?
プライドって何⁉️
皆さん、プライドって知っていますよね。
自尊心とも言いますが、このプライドはすごく大事ですが、最も必要のないものでもあります。
その理由と対応方法を見ていきましょう。
必要なプライドと不要なプライドの違いは、実は明確です。
必要なプライドは、家族や恋人のこと、そして自分が絶対に許してはいけない最後の領域に踏み込まれた時に発動されます。
実は、本当に必要なプライドは、ほんの少しの、そして最も重要な存在を守るためにのみ発動されることです。
以前に紙幣の顔にもなった新渡戸稲造氏が、日本人の誇りやプライドを書いた「武士道」は、新渡戸稲造氏が愛する奥様のために書きました。
愛する奥様はアメリカ人であったので、新渡戸稲造氏は、英語でこの「武士道」を書き、奥様に日本人のプライドを伝えました。
そして、その本は英語圏に絶大に支持されて、歴史的な書物になりました。
この「武士道」は、昔の武士がどのような考え方で生きたのか?
日本人の本質に迫る内容です。
ここでは、その詳細には触れませんが、一度読んでみると自分のプライドについて、改めて考える時間が持てることでしょう。
そもそも、プライドは自分のためにというより、家族や社会、仲間に対して持つべきで、大事な存在を守るためのプライドは重要です。
でも、自分のために持つプライドは、それほど重要ではありません。
そして、自分が持つべきプライドは、自分を守るためというよりも、自分が成長するために必要なものなのです。
今日は、そんな自分のプライドの必要か不要かについて、見ていきます。
守るべき自分のプライド⁉️
家族や仲間、恋人を守るためのプライドは重要ですが、自分を守るためのプライドはそれほど重要ではないと書きました。
それは何故でしょうか?
その理由は、自分のプライドは自分で決めているからです。
家族や仲間、恋人に対するプライドは、とても客観的です。
家族やなかま、恋人の自尊心や絶対に譲れない何かを踏みにじられる行為は、誰にとっても同じです。
しかし、自分のプライドは、実は自分が勝手に決めています。
自分がプライドを決めるわけですから、基準はあまりありません。
そして、自分のプライドには、2種類あります。
①自分を守るためのプライド
②自分が成長するためのプライド
この2つは、似ていますが、全く別物です。
①は、自分のことを正当化したり、存在意義を認めてほしいという目的から、プライドという言葉の意味をすり替えている場合があります。
勿論、自分の最後の領域が踏みにじられようとしている時に、笑っていろとは言いません。
しかし、最後の領域でもない、自分の自己満足や自己愛、勝手な思い込みからのプライドは、それほど重要ではありません。
しかし、②のプライドは、とても重要です。
②は自分が成長するためのプライドですが、これは、まさに守るべきプライドと言えます。
不要なプライド⁉️
ここまで
①自分を守るためのプライド
②自分が成長するためのプライド
を見てきましたが、この2つの違いを見ておきます。
①の自分を守るためのプライドは、何故重要ではないのでしょうか?
このプライドは、自分が決めていることがほとんどです。
自分以外の第三者から自分はこんな見え方したい。
自分はこうあるべきだ。
というように、自分でプライドを決めています。
これは、一見重要そうに見えますが、本質を見ると実はとっても無駄が多く、不要であることがわかります。
誰かに自分をどう見て欲しいのか?
これは、誰かが自分を評価し、判断するわけですから、自分が決めることではありません。
勿論、どんなふうに見られたいのかを意識することは、マナーや美的価値観の意味では重要です。
しかし、自分の性格はこうだからとか、自分はこういう人間だからということは、案外、自分の思い込みでしかない場合がほとんどです。
それに、自分を勝手に決めてしまうと、余計なことをしなければいけなくなることがあります。
私は、小学生の時に、とっても見栄っ張りでした。
以前にも書きましたが、当時は天使の顔をした悪魔と呼ばれる悪ガキで、しかも女の子が大好き。
そこで、私はついつい嘘を言ってしまったことがあります。
自分ではファミコンを持っていなかったのに、持っていると自慢してみたり、海外旅行に行ったことなんてないのに行ってきたと言ってみたり、誰かの気を引くことに夢中でした。
しかし、そんな悪ガキの浅知恵ですから、すぐにバレる。
近所の幼馴染に海外に行ってなんかいないことを言いふらされてしまい、本当に恥ずかしい思いをしました。
その記憶からも、嘘は言わない方が良いということが、鮮明に記憶されています。
このように、自分がこう見られたいという自分が決めたプライドによって、私は嘘をつくという、余計なことを頑張らなければいけなかったのです。
こんな余計なことをしているぐらいなら、変なプライドを持たずに、ありのままにしておくと、余計な苦労は少なくなります。
それに、自分がどう見られているのかを気にし過ぎてしまうと、新しい自分の発見ができないという弊害もあります。
自分はこんな人間なのだ!
そう心に決めて生きていると、実はとっても大きなチャンスを逃してしまっていたり、その瞬間にしかできない有意義なことを見過ごしてしまうことがあります。
例えば、すごく見た目が汚い居酒屋さんがあるとします。
そこで、何やらこんなに汚いけど続いているということは美味しいのではないか?
そう考えて入ってきると、「これはうまい!そして、安い!」
そんな店あります。
でも、自分のプライドが、こんな汚い店許せない、自分には似合わないと考えていたら、その美味しさには気がつきません。
また、たとえば、自分は、カラオケを歌うことが嫌いな人間だと決めている人がいるとします。
その人はカラオケで歌ったことがありません。
では、何故歌ったことがないのに、カラオケが嫌いなのでしょうか?
これって、自分が決めた自分のプライドが邪魔していますよね。
取引先の社長さんは歌が大好き、接待は絶対にカラオケが必要。
そんな時に、「自分はカラオケはできません!」
勿論、そういうのは自由です。
でも、それって大事なコミュニケーションを放棄してしまっているのではないでしょうか?
このようなプライドは、見直した方が良いように見えますよね。
必要なプライド⁉️
では、次に必要なプライドを見ていきましょう。
②自分が成長するためのプライド
これは、必要なプライドです。
と言うより、もしこのプライドがない場合、自分を成長させることは難しいかもしれません。
自分が成長するためのプライドとは、簡単に言うと①を上手に活用して身につけることも可能です。
自分が成長したいということは、自分がどのようになりたいのか?
そこが根っこにあります。
自分がどのようになりたいかは、好きな女の子にモテたいとか、人から好かれたいとか、さまざまな動機があります。
さっきのプライド①にも似ていますね。
①との違いは、それをポジティブに、実際に自分磨きに活かしたか活かしていないのか?
これが大きな違いです。
①は、自分はこう見られたいと思っているだけで、実際にはそれに伴う努力や自分磨きが伴っていない場合に起こります。
そかし、②まで高めることができれば、それは成長につながります。
そして、その成長をきっかけに、自信がついたり、自分が良く変わっていく喜びを知ったりします。
そのことを知ったら、もうあとはどんどん成長していくしかないのです。
そんな自分の成長のためのプライドは、大切に持つ必要があるのです。
まとめ
2つのプライドは、同じように見えても、その意味や内容はまったく違います。
②のプライドを活用して、有意義で成長する人生を送りたいですよね。
そうすると、みんなからもどんどん慕われ、尊敬され、結局①を持たなくても、勝手に相手が自分のことを素敵だなって判断してくれるのです。
①の害も書いておきます。
まず一つ目ですが、その最も重大な害は、「素直になれない」こと。
これは、「自分はこうだ!」と自分で決めつけているので、自分の世界にこり固まって、仲間や家族、重要なアドバイスなどを素直に聞き入れて、自分の改善に活かせないことにつながります。
2つ目は、感謝や挨拶ができなくなる。
これは、本当に重要で、自分では気が付かないことが多いです。
「自分はこうだ!」と考えている人は、自分の側でしかものを見ていません。
相手の立場で考えたりすることが苦手です。
そんな場合に、「挨拶は相手からするものだ。」、「何かしてもらうのは当然だ。」そう考えている傾向があり、何かしてもらってもお礼もない。
朝あっても「おはようございます。」も言えないという人が多いです。
これって、損していると思いませんか?
自分のことを評価したり、賛同してくれるのは、自分ではなく、相手なのですから。
最後に、その上で、最も重要なことは、自分の最後の領域、そんな本当に大事なプライドは絶対に守り抜きましょう。
でも、それが、自分が勝手に決めた自己主義のプライドつまり①のプライドではない事を確認してみてください。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます😌
さあ、明日はどんな気づきが待っているのでしょうか💁♂️
いつも応援感謝です🙏