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言葉について書く理由? コミュニケーションは難しい? (連載3回目)

言葉、母国語って難しい?

 

UDOU
私は、子供の頃まったく勉強ができませんでした。

だから、その後、沢山苦労しました。

そうだったのですね。

以前のお話でも確かに、あまり賢くない子供だったような印象でしたね。

ドクターX
UDOU
そうなのです。

毎日遊び呆けて、女の子にちょっかいばかり出している薄いペラペラ人間でした。

最近も、あまり変わっていないように見えるのですが、まあいろいろと苦労をされてきたんだなと言う印象は受けますね。
ドクターX
UDOU
そうですか?

まあ、今もたしかに中身の無い人間ですが、それはもう、子供の時と比べたら、月とスッポン、メダカとマグロぐらいは成長したと実感しています。

そうなんですね。

どうして、成長したと感じるのでしょうか?

そのあたり、ちょっと知りたいですね。

ドクターX

 

私は、40代で海に見える田舎町に移住したUDOUです。

海の見える生活に憧れ、毎日美味しい魚が食べられて、温泉に入れる場所を探して、この田舎町にたどり着きました♨️

そして、漁師さんと仲良くなり、漁の手伝いをしては、お魚を分けて貰うという、想像していたような素敵な生活を掴みました。

しかし、田舎町には仕事がありませんでした。

毎日、漁師さんの手伝いをして、美味しい魚は食べられますが、仕事という仕事はなく、時間を持て余しました。

そこで始めたのがこのブログです。

魚を食べて、温泉に入って、そして、自宅で文章を書いて、それが仕事になるなんて、素敵だなと夢見てやってみました。

何を書いていこうか悩んだ結果、自分がブログを始める為に調べたことややってみた事を書いていきました。

でも、話のネタなんて、そんなに見つかるものではありません、、、。

そこで、プログラミングを学ぼうと、オンライン授業を受けてみました‍。

なかなか楽しく、熱中したのですが、プログラミングに時間を使いすぎて、ブログを書くことができなくなってしまいました

あらまあ、これでは本末転倒だなと感じて、ブログを再開しようとした時に、コロナによる緊急事態宣言が、終わりました☺️

今度は、海の見える田舎町にいられないくらいに忙しくなってしまい、今では東京の生活の方が長くなってしまいました。

まあ、都内には仕事は沢山ありますし、飲食店も沢山ある。

やっぱり都会だなと思いながら生活していますが、やっぱり今度は、海の見える田舎町が恋しくなってきました。

人間って、ワガママですよね。

そんな時に、おや?

何か忘れていたような?

と思い出したのが、このブログでした。

都内でも、海の見える田舎町でも、山の見える田舎町でも、どこでもパソコンかiPad一つあれば書けるブログは、やはり魅力的に感じました‍。

そんな私が、どうして再びブログを書こうと決意したかというと、そこにはさまざまな人間模様がありました。

会社のマネジメントをしていると、さまざまな人材がいます。

その人達は、一生懸命仕事をしているのですが、どうもトンチンカンな事をやっていることがあります。

また、何故かクライアントさんとのコミュニケーションが上手くいかなかったり、仕事が止まってしまったり、さまざまな出来事が日々起こっています。

そんな時に、感じました。

あ!

この感覚、いつかの自分も同じように苦労してたな。

いつかの自分も、つまづいたり、人に迷惑かけたりしていたな。

そんなことがあるたびに思いました。

このみんなの行動や失敗は、私の気づきにもなっているのではないか?

そして、私が今までに経験したことと合わせて考えれば、きっと何かの役に立つのではないかと直感しました。

そして、2日前から、このブログを再開したのでした。

 

 

言葉について書くワケは❓

コロナの影響もあり、人と人のコミュニケーションや距離感が変わりつつありますよね。

zoomであったり、電話であったり、LINEやSNSであったり、お互いに直接会わずになんとかやり取りを円滑にしたい、営業成績を上げたいと四苦八苦していますが、なかなか成果につながりません。

何故だろう?

よく考えてみると、当たり前のことなのですが、やはり、直接会って話をするよりも、相手に与える印象や伝えるエネルギーの量が違うのです。

直接会った場合には、五感がフル回転します。

耳で聞き、鼻で嗅ぎ、肌で感じ、目で見て、自分の口で言葉を話して、相手に伝わったのかどうかを確認しながらコミュニケーションすることが出来ます。

そして、周りの環境も手伝って、さまざまな印象が残り、記憶にも定着します。

でも、zoomや電話、メールやLINEは、勿論便利ですが、直接会ってお話しする事に比べると、五感の刺激も、伝わるエネルギーも限定的ですよね。

それが、在宅ワークや遠隔での会議があまりパッとしない大きな要因であると私は考えています。

私も、海の見える田舎町にいた時に、zoomや電話で会議などやりました。

LINEでもグループを作って仕事の話をしたりしてみましたが、やはり、どうもうまくいきませんでした。

そんな時に、漁師さんのお手伝いをさせて貰ったり、地元の人達とコミュニケーションする時には、全然違い、楽しく、生産性も高いように感じました。

ただ、田舎町にはそんなに仕事はありません。

私も、仕事が好きな方ですから、何かしていないと腐ってしまいそうなので、なんとか遠隔でも仕事ができないか、チャレンジしました。

その残骸が、実は、このブログなのです。

田舎町にいても仕事ができれば楽しいなって、そう考えて始めてみました。

真剣に取り組んでみたものの、やはり、ブログだけではすぐに成果もでず、当時LINEや zoomなどで会議などをしてみましたが、コミュニケーションがうまくいかず、悩んでいました。

そんな時に、感じて、そして、その後どのようにこのコロナ禍の環境を活かして仕事の充実を掴んだのか?

それが、私がこのブログを再開して、この文章、言葉について書く理由です。

 

遠隔でも、メールでも、LINEでも、相手と心を通わせる方法はなんだろう❓

私は、毎日モンモンと悩みました。

私はいつも人と会って本領を発揮するタイプですから、このように人となかなか会い難い時には、必殺技のスペシウム光線を封じられたウルトラマンのように、全く役には立ちません。

怪獣にボコボコにされて、泣きながら謝るのがオチです。

そんな、必殺技の封じられた私が、どうやって、再びコロナ禍で仕事をバリバリこなせるようになったのか、そこにヒントはありました。

それは、何も難しいことではありません。

少しの考え方を変えれば、皆さん同じように、遠隔だろうとLINEだろうと、どんどんコミュニケーションがはかどることでしょう。

冷静に考えてみると、とっても当たり前な事なのですが、そんな当たり前のことをやらないのも、やはり人間です。

人と会う時には、五感がフル回転されるわけですが、zoomやLINEでは、視覚と、聴覚の二感までですよね。

実は、ここに大きなヒントが隠れていたのです。

つまり、視覚と聴覚に直接伝えるエネルギーを強くすれば、コミュニケーションの質が変わるのではないのか?

私は、そこに気が付き、一生懸命その技を磨きました。

そして、その技とは、皆さん、当たり前に使っている、母国語、つまり私達にとっては日本語を磨く事だったのです。

そして、感情を伝える表現や表情、タイミングを身につける事だったのです。

 

日本語って難しいと言われますが、本当に難しい⁉️

日本語は、難しいと言うことを耳にしますが、この理由は私もいくつかあるとおもいます。

しかし、日本語には、当然ですがその全てに、決まったルールがあります。

そして、決まった使い方や順番、組合せがあります。

そんな話をする前に、少し私のことを紹介しておきます。

私は、小学生時代、近所で有名な悪ガキでした。

「天使の顔した悪魔」と言われることもありました😇⇄😈

それは何故か?

やりたい事に素直に、心のままの行動をしていたら、いつのまにかそう呼ばれていました。

自分のやりたい事を押し通すため、相手はいい迷惑ですよね。

今、思えば無茶苦茶でした。

そして、遊んでばかりいたわけですから、災難も多く降りかかりました。

近所の先輩が、校門まで迎えに来て、神社の境内や空き地に連れて行かれたりしたことも一度や二度ではなく、本当に良くありました。

しかし、そこでも何故か怖い顔をしていた先輩が、「お前面白いな!」と言って、仲良くしてくれるようになっていくのでした。

そんな事をしながら、気がつけば中学校高学年になっていました。

その後、なんとかイヤイヤ勉強にも慣れ、時には猛勉強が出来るようにもなり、なんとか高校、大学と進みました。

大学に入り、また再び小学生時代からの悪い癖が暴走しました。

街に出ては遊び歩き、道ゆく女の子に声を掛けまくる毎日が続きました。

そして、大学の勉強も面白くなくなり、フラフラしていた時に、大阪で出会った先輩と一緒に、プロサッカー選手のマネジメント会社を設立することになりました。

その後、関東と関西を毎週行き来して、活動の範囲が広がっていきました。

そうこうしているうちに、縁あって大学在学中に韓国財閥のグループに入り、その後に大学は除籍になりました。

しかし、その間、私は学生の顔、会社員の顔、携帯電話の販売会社をやったり超有名ミュージシャンと一緒に会社をやったりという実業家の顔、ヤンチャ仲間とパーティーサークルを束ねる顔、などなど、様々な顔を持ってきました。

それは、やはり、幼少期のやりたいことに向かうエネルギーと小学生時代からの人と仲良くなっていった経験がそうさせたのだと思います。

昨日書いたブログでも書いていますが、女の子とのコミュニケーションやラブレターの経験が、まさに人とのコミュニケーションを円満にしていたのではと、今では感じています。

その後、時間も経過していく中で、日本だけではなく、韓国、香港、中国、ミャンマー、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアと渡り歩きました。

特に印象深いことは、ミャンマーには、日本の代表として世界仏教サミットという世界中の有名仏教家が集うイベントに、仏教なんて何も関係ないのに参加していました。

中国や韓国でも、会議や会食に参加して、なんとかやっていました。

タイでは、タイ最大の財閥グループのオフィシャルエージェントに就任し、何故か韓国大手ゲーム会社とのファンド組成や買収案件の依頼、日本の大手ファミレスチェーンの買収案件など携わりました。

こんな経験をしていたからこそ、私は、日本語と外国語の違いを痛切に感じる事ができました。

その時に、私は、「日本語って難しくないな」と感じる事が沢山あったのです。

だって、韓国語や中国語、ミャンマー語やタイ語なんて、全く覚えられないし、全くよくわからなかったからです。

その理由は、簡単ですよね。

やはり、私は日本人であり、日本語は子供の頃から慣れ親しんだ母国語だからです。

でも、皆さん、母国語の日本語を意識して鍛えたり、必殺技になるまで磨いたことってありますか?

勿論、学生時代に、国語の授業はあったでしょう。

でも、国語の授業って、今思うほど大切にしていなかったのではないですか?

理由は、当たり前にある母国語のことだから、そんなに意識しないでも、常にそこにあるものだからです。

空気や水やお父さんやお母さんのように、当たり前過ぎて、感謝したりする事を忘れてしまうものだからです。

でも、こうやって冷静に考えてみると、日本語って、難しいことはなく、本当に助けられてるんだということに気がつくのではないでしょうか?

だって、そんなに難しかったら、韓国語や中国語、タイ語やミャンマー語のように、まったく分かりもしないはずですから。

 

母国語を徹底的に鍛える⁉️

海外を渡り歩く中、そして、日本でのビジネスを進める中で、その間、世間でいう悪いことや良いことに様々触れ、様々に苦労をし、その後、縁あって真言宗の僧侶の修行勤しみ、またその後、たくさんの楽しいことや苦労を経験して、今ここにいます。

人生は、波のようだと言われますが、まさに株価や相場のように常にうねり、上下運動を繰り返しています。

私の場合、特にそのうねりが極端でした。

子供時代に天使の顔をした悪魔と言われていたことも、やっぱり三つ子の魂百までとあるように、影響をしていた事と思います。

勿論、大人になるにつれて、子供時代とは違い、様々な知識や経験を積み、自分を戒めて反省し改心して、でもまた後悔してということを繰り返して来ました。

悪い顔と良い顔が、長短織り交ぜて繰り返し出たり入ったりして、人を裏切り、人に裏切られ、人を悲しませ、人を楽しませ、人を蹴落とし、人を助けて、今にたどり着いています。

こんな事をしてきたからこそ、私自身、今になって気がつくことが沢山あります。

それを言葉に書き、話して表現できるのは、こう言った今までの様々な経験や実体験、そして何事に対してもやりたい事にはひるまず全力で取り組む性格からこそ、さまざま気がつくようになったのではないかと感じます。

そんな私が、今また、いくつかの会社を見て、若者達を育てる立場に立っています。

はじめは、正直、面倒くさいなと感じました。

何故なら、私は去年、既に海の見える田舎町に移住して、漁師さんの手伝いをしたり酒を酌み交わし、海を眺めて温泉に入ったり、司法試験の勉強をしてみたり、ブログを書いてみたり、プログラミングを勉強してみたりと、好きな事に取り組んでいました。

でも、そうこうしているうちに、いつのまにか再び東京に戻り、今では海の見える田舎町にも行けない状況になっています。

では、何故そうなったのか?

若者達が、やりたい事に向かって突き進むことは、やはり見ていて楽しく、また、心強いものです。

同時に、私自身、様々な気づきをもらうことができるのです。

そして、気が付いたらいつの間にか、その気づきを未来の自分が忘れてしまわないように、以前作りかけで放置していたこのブログに書いていく事になっていました。

その内容は、書くこと、話すこと、やるべき事、知るべき事、気づくべき事、楽しむべき事、大切な事、悲しい事、悔しい事、反省すべき事、感動した事、驚いた事、楽しい事、腹が立つ事、難しい事、などなど様々になっていく事でしょう。

そしてそれは、私自身が人生で経験し、そして今、若者達との生活の中で再び思い出させられる事でした。

つまり、やはり人間が生きていく以上、そんなに変わることはなく、先ほど書いた様々な事、やるべき事はそれほど多くは無い事に気がつきます。

そして、最終的には、相手に何かを伝え、相手の伝えたい事を受け止める事こそが、本当に大事な事であると感じています。

そんな事を、考える前に、私はブログを再開していました。

そして、言葉を磨き、より精度を高めた必殺技に磨きをかけていく為に、毎日書いていこうと決めました。

するとどうでしょう。

母国語は、zoomでも、メールでも、LINEでも、勿論使います。

以前とは違い、zoomでも、メールでもLINEでも、そのコミュニケーションは深くなり、更に、ブログの題材や話題にも全く困る事が無くなったのです。

ブログの題材に至っては、自分の日常で、若者達が沢山気づかせてくれるのです。

母国語を徹底的に使っていくと、言葉のルールや構成、構造、呼吸やタイミングまでもが慣れるように身に染みてきます。

その感覚を、若者達や皆さんも使ってみると良いなと感じました。

難しい事をするわけではなく、当たり前のことです。

でも、気が付かず、もしくはやり方がわからない事って沢山あります。

母国語を鍛えることのメリットって、まさに、それだと思うのです。

そして、私はこのブログを書き続けようと決意しました。

本当に、言葉の力ってどうなんだろう?

母国語って大事なの?

そう考えている皆さんに、そして、母国語の大切さを知り、ビジネスの厳しさや人間関係の難しさを知っている皆さんにも読んで貰いたい。

そう考えるようになったのです。

 

自分の全てを、言葉に変える‼️

遠隔会議や在宅ワークでは、上司や仲間や取引先や、さらに言えば恋人など、なかなか相手に気持ちが伝わらない、zoomで会議してもなんとなくしっくりこない、LINEでのコミュニケーションもどうもはかどらない。

そんな感覚、皆さんも感じているのではないでしょうか?

もっと、直接会った時のように、心から通じ合いたい、心から通い合いたい、そう感じる事が多くあるのではないでしょうか?

勿論、直接会う以上の五感のフル活用はありませんが、遠隔でも、メールでもzoomでもLINEでも、同じように心を通わせることは可能なのです。

では、その為には、何が必要なのでしょうか?

そんなテーマを、毎日の気づきと共に、このブログで少しづつ、紐解いていきたいと思います。

「人生で大切な事を言葉にしてみる。」

皆さんにとっても、私にとっても、人生は一回。

この一回をより良く、より楽しく、そして、いきたい自分で生きる為に、毎日、忘れてはいけない事や、失くしてはいけない事を、書いていこうと思います。

そして、これを書き続けた結果、自分自身が誰にも恥じない自分でいられるように。

大切な事を守り、約束を守り、仲間を守り、愛する人を守り、自分の信念を守り、死ぬまで素直に成長を続けていければと思います。

未来の誰かが、これを読んで役に立った、そんな事を一人でも感じてくれたら、とっても幸せです。

 

ポイント

人生は一度だけ💁‍♂️

たった一度の大切な人生を充実させるには、自分の実力をつける必要がある🙋‍♂️

その為には、まず、母国語をしっかりと身につけてみよう🗣🇯🇵

自分の考えを言葉にできると、相手に自分が伝わります🙆‍♂️

コミュニケーションの成否は、自分の言葉の実力次第🗣

 

まとめ

未来の自分へ、そして、未来の仲間達へ。

歴史や経典、聖書など、過去を探るヒントは沢山遺されているように見えます。

しかし、歴史は、新たな資料が出てきたり、新たな学説が出ると、ひっくり返ってしまったり、歴史的事実自体が無くなってしまったりします。

それは、過去の記録は石であったり、木であったり、竹であったり、紙であったり、時には口伝であったり、数十年から100年保存されることすらとても難しいという現実があります。

燃えてしまったり、流されてしまったり、埋まってしまったり、腐ってしまったり、忘れてしまったり、さまざまな原因で、過去の記録は失われてしまいます。

しかし、テクノロジーの進化とともに、インターネットの普及や最近ではブロックチェーン技術の活用など、情報の保存は以前よりも容易になってきています。

また、メールやzoom、LINEやSNSの普及や、iPhoneや Androidのスマホ、iPadなどのデバイスの普及も手伝って、現在、コロナであろうとなかろうと、遠隔でも外国でもコミュニケーションが可能となりました。

それは同時に、文章や言葉を未来に遺す環境が整ってきた事を意味しています。

勿論、数百年の歳月、自分の文章や言葉を遺すことはかなりの確率で実現は難しいでしょう。

しかし、過去のありがたい言葉や自然の原理に基づく言葉、人の心を掴み、人の心に響く言葉のように、人々が遺そうと懸命に守っていく言葉があるのも事実です。

皆さんも、まずは母国語を徹底的に鍛えて、未来の仲間や子孫に対して、自分の言葉を遺してみたくはありませんか?

その為には、事実を正確に把握し、母国語である言葉を使いこなし、そして、伝えるための心の込め方や気配りの方法を知っていく必要があると思います。

私達と共に、一緒に気付き、一緒に母国語を磨き、そして、コミュニケーションによって日本をそして、世界を一つにしていきましょう。

え❓

外国語は、母国語ではないって❓

たしかに、私たちの母国語ではありませんが、言葉のルールは実は同じです。

その文字や使い方が少し違っているわけですが、心を込める事、自分の意思を伝えて、相手の意思をくみ取る、その役割は、全く同じです。

今回は、外国語ではなく、母国語の話ですから、まずは、このくらいにしておき、また、外国語と日本語の同じ点や違う点についても書いていこうと思います。

少し話が逸れてしまいましたが、母国語をまずは徹底的に鍛えて、こんな時代だからこそ、強く心の込もったコミュニケーションの輪を広げていきましょう。

今日は、これから続くブログについて書いてみました。

最後まで読んでくれてありがとうございます☺️

 

 

文章を書くことと、話すことって、難しいですよね❓

でも、実は、その基本がわかると、とっても簡単になってしまうのです❗️

興味がある方は、読んでみてください‍👇

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